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谷川士清の肖像画。この肖像は、谷川神社の反古塚前の石版上の像を撮影したものである。 |
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国指定史跡である谷川士清旧宅。立て札のところが入り口で、右手に受付がある。入場料は無料で、ボランティアの方が、受付や案内をしている。内部は、畳の部屋が幾つかあり、士清の書いた書物などが陳列されている。18世紀後半に建てられた家屋であるが、傷みが激しかったため、昭和52〜54年に津市によって修繕が施された。 |
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谷川士清旧宅の道路側の全景。 |
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入り口に立てられた、旧町名「八町」とその由来を期した石碑。写真をクリックして拡大すると、町の由来が読みとれる。 |
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旧宅は津城と伊賀上野城とを結ぶ藩道、伊賀街道に面しており、津城から西1kmほどの場所にある。この付近は当時、商家が連なり賑わった場所であった。
しかし、現在、伊賀上野を通って津に至る国道163号線は、別の場所を通っており、旧宅前の通りは閑散として昔の賑わいはなく、昔の面影を残す家々が僅かに見られる。 |
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谷川神社の隅に設けられた反古塚。この塚は、士清自ら築き、著作の下書きなどが世に出回って異説の元とならないように埋めた。津市指定史跡となっている。
石碑の裏面には、万葉仮名を用いて「何故に砕きし身ぞと人問わば それと答えむ大和魂」と書かれ、その意味は「なぜ、心身を砕いてそれまで学問に打ち込むのかと人が問うならば、自分は一生、国学の研究に力を注いできたことを誇りに思うと答えるでしょう」と解釈される。 |